松喜屋と「近江牛肉」の歴史

日本では、仏教伝来とともに肉食禁止の歴史が続きましたが、元禄以前、彦根藩高官で屠殺(とさつ)された牛肉は、藩主から代々将軍へ「養生肉」として、牛肉の味噌漬を献上するしきたりがあり、最古の屠牛(とぎゅう)の歴史と言われています。
こうした歴史的条件のもと、文明開化とともに肉食が普及し、そのため生牛(せいぎゅう)を東京に出荷するようになり、滋賀にあっては肉牛(にくうし)の飼育が増加する様になりました。
明治初期、交通が極めて不便なころ、弊社の先祖「西居庄蔵」は、地元の竜王町において生産態勢を整え、東京・横浜への肉牛の輸送に力を注ぎ「近江牛肉」の名を確固たるものにしました。
このころ、京浜地方に牛を出荷するには、東海道を陸路歩いて牛を追い、15〜16日かかって東京にたどり着きました。
しかし、陸路は日数がかかり、一度に多くの牛を送ることが出来ないなど、今日では想像も出来ないような様々な苦難がありました。
そこで「庄蔵」は、当時としては画期的な方法ともいうべき船輸送を考え、明治15年(1882)神戸港から横浜港へ日本郵船の船にデッキ積みをして海上輸送が始まり、近江牛の販路は拡大されました。
ところが、輸送経路が神戸港を基地とした為に、東京に入荷する肉牛が、「神戸牛」の名称で呼ばれる事になったのは皮肉なことでありました。
明治16年(1883)日本の近江牛のすき焼き屋の元祖として、東京で「松喜屋(まつきや)」が開店しました。
当時「すき焼きは銀座の松喜屋」といわれ、「庄蔵」はこの松喜屋に近江牛を一手に納入しました。
そしてその、「銀座の松喜屋」が、明治・大正・昭和の三代にわたり宮内庁御用達として、大膳祭に天皇が召し上がる牛肉(近江牛)を納めていた事実も忘れられません。
そうした縁から「松喜屋」の[のれん]を譲り受けた三代目西居は、大正末期に瀬田川畔石山に店舗を構え、現在は、四代目となって営業しております。
