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「近江牛肉」の歴史 第四章

江牛は、もともと湖東地方の使役牛として飼育されていたもので、米や麦の豊富な飼料と、牛の筋肉を発達させるのによい深い水田などの好条件がそろっていたために良質の肉牛へと成長しました。
そのため、農家では使役を兼ねて1戸1頭の和牛を飼育し、何年か育てた牛が太ったら次の新しい牛と交換するという制度を昭和30年頃まで行なっていました。

そしてその後、高度成長期の到来とともに農村機械化の波が訪れ、耕運機が普及しはじめると使役としての必要性が無くなり、近江牛の飼育頭数は一時的に減少しました。
しかし、全国的に食肉需要が増加したために農家は食肉用に多頭飼育をはじめ、それによって飼育頭数は増加に転じただけでなく、近江牛飼育に企業性が加味されるようになりました。

江の国(滋賀県)はご存知のように中央に日本一の琵琶湖があり、周辺は山岳地帯に囲まれ、そこから流れおちる河川は全て湖に注いでいます。
昔から「うまい米のとれる土地は酒がよく、良い酒の産するところは、よい肉牛が育つ」ということが言われており、この三つの産物に共通するものは水であります。

県のうち、蒲生郡(がもうぐん)・神崎郡(かんざきぐん)・愛知郡(えちぐん)の三郡が特に近江牛の産地として名声を博しているのは、三郡を縦断して流れる、愛知川・日野川・野洲川の水質と肥えた土壌という環境のおかげだといえます。
そしてそのうえ、畜産家の人たちはいずれも劣らぬ愛牛心の持ち主で、健康状態はどうか、飼料をしっかり食べているか、といったように、家族に対するのと変わらぬ注意や愛情をそそいでいます。
また、美しい霜降りを生み出すために毎日時間をかけて念入りにブラッシングをかけ、麦を大鍋で煮て夜食を与えたりといった手間ひまが良質の近江牛を育んでいるといっても過言ではありません。

そのようにして大切に育てられた近江牛の大きな特徴としましては、

   @ 肌で解ける近江牛独特のねばりのある上質の脂肪を持つ。

   A (霜降り)」と呼ばれる肉繊維と脂肪との交雑は、他の銘柄牛に比べてきめが細かく上品に仕上がっており、
      口に入れたときの食感と溶けるような風味を感る。

   B 肉は屠殺後、水分の蒸発により肉の量が減少する「減耗(げんもう)」という現象が起こるが、
      その量が非常に少ない。

という3点だと言われています。

ここ最近、食肉を取り巻く問題が指摘されていますが、将来、この歴史と伝統のある本物の近江牛を絶やさないためには、畜産家、販売者、消費者が力をあわせていくことが非常に大切なことであることは間違いありません。

近江牛肉の歴史 終わり